アルプス交響曲

アルプス交響曲」は山登りのことを知らない人間が書いた曲だと随筆家の串田孫一が書いていた。十代の頃、もっともよく読んだ著述家の一人である串田は、あまり人を非難するような文章を書く人ではないが、それだけにリヒャルト=シュトラウスに対する辛辣なコメントが新鮮だった覚えがある。

出典が何かはまったく記憶にないが、「アルプス交響曲」が、牧歌的な麓の牧場をのんびりと通って、山頂に登ってそこで荘厳な景色に感動して、下山で嵐にあってひどい目にあって、夕暮れ時に下山して心安らかな夕暮れがあって、と判で押したような解釈、登山のイメージをなぞって音楽を作っているけれど、本当の山登りをすると、人の感動のあり方はそうしたものではまったくないことはすぐ分かる。串田はそんなニュアンスのことを書いていたはずだ。

リヒャルト=シュトラウスは、楽しいときにはこんな音、嬉しいときにはこんな音、悲しいときにはこんな音という判で押したような感情にまつわるイメージを彼ならではのテクスチャで音にできる天才だったが、音楽以外の要素になると、まるっきり通俗的で、彼の交響詩やオペラは、その相反する感覚が組み合わさっているのが好き嫌いの分かれるところだ。「アルプス」だけではなくて、彼が俎上に載せると、音楽以外の全てが嘘っぽくなると言っていい。

さらに“判で押した”話の続きだが、「アルプス交響曲」というと、CDジャケットにはさかんにマッターホルンの絵や写真が使われる。たしかにあの曲のクライマックスとマッターホルンはよく似合う。ところが、実際にシュトラウスが土地に滞在してインスピレーションを得たのはスイスではなく、ドイツの南端、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンであり、彼が眺めていた山はマッターホルンのような巨大なスイス・アルプスではなく、ドイツの最高峰であるツーク・シュピッツェ。高さは3千メートルに満たない。スイス・アルプスに比べるとババリア・アルプスはかなり地味な山並みである。僕が20代の頃に一度訪れ一泊したときには、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンの町は濃い雲の下で、山はまったく見えなかった。

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アルプス交響曲」、僕は実演ではたったの一度だけ聴いたはずが、どこでいつの出来事か、まるで記憶がない。どこかのオケの定期公演だ。もしかしたら、聴いたのも思い違いかもしれないと思うほど。録音では、カラヤン盤がやはりこの曲のあくの強さ、はったりの強さと強烈に釣り合っている。近年の盤ではブロムシュテットとサンフランシスコ響の録音に惹かれる。少し古いところでは、やはりケンペがいい。メータとロス・フィルも定番か。マッターホルンよりも巨大な顔がジャケットに登場する小澤征爾ウィーン・フィルも悪くなかった覚えがある。


R.シュトラウス/アルプス交響曲

R.シュトラウス/アルプス交響曲

R.シュトラウス:アルプス交響曲

R.シュトラウス:アルプス交響曲

R.シュトラウス:アルプス交響曲

R.シュトラウス:アルプス交響曲