忌野清志郎

夢の中の僕は大学に通っている。自分の専門とはかけ離れた一般教養の法学の授業を受けなければならない。それが嫌だなと思っているが、ここで単位を落とすと卒業に差し支えが出てくるので、授業に出ないわけにはいかない。

ところが、これからあるその授業には、別の敷地にある校舎に電車に乗って受けに行かねばならない。そこで前の授業が終わった机の上を片付け、街中に出て行く。渋谷のセンター街の面影がある繁華街には人影はまばらだが、おかしな張りぼてのお面を顔につけた人たちが何人も話しかけてくる。何のいたずらかといぶかっていたら、持っていたはずのノートパソコンがないのに気がついた。そこで目が覚めた。

夢から目覚めて朝ご飯を食べパソコンに向かったら、hayakarさんのブログで忌野清志郎が死んだことを知った。

■キヨシローが死んだ(『hayakarの日記』2009年5月3日)

nomurakentaさんも話題にしていた。

■キヨシローが来ないの、とあの娘が電話かけてきた(『みみのまばたき』2009年5月3日)

僕はそんなに聴いていたわけではないが、非クラシック系のCDで自腹を切って買った数少ないコレクションの中にRCサクセションの2つがあった。そのうち一つは人に貸したら、その人とのつきあいがなくなってしまい、永劫に戻ってこなかった。

清志郎の映像をテレビで観て、「なんじゃ、こりゃ」と親父が思わず口走っていたのを思い出す。ビジュアル系なんて言葉がどこにもなかった頃のことだ。その親父も死に、清志郎も死んだ。

何も変わっちゃいない事に気がついて 坂の途中で立ち止まる

この人の歌には時代を共有する我々庶民の等身大の欲望と諦念とが表現されていると思えて、好感を抱いていた。ファンと自称するほどの突き詰めた聴き方は一度もしなかったけれど、CD買って、口ずさんで、っていう奴をファンの一人に数えてもよいのであれば、立派なファンだった。