ウィーン

先日、茂木健一郎さんの『クオリア日記』でベルリンや、ザルツブルクや、ウィーンを訪れた話が紹介されているのを読んだ。それら三つの場所には記憶の断片となって残る個人的な落とし物がある。ベルリン。ザルツブルク。ウィーン。三つの土地の名前に脳が反応し、私は明け方の夢を見る。ウィーンに行って、もう帰らなければならない、帰りたくないと思っている夢だった。
夢の中でウィーンと理解されている場所は、しらふの頭で考えると、現実のウィーンとはかなり異なる場所で、しかし、今の自分にとってウィーンとはそういう場所なのかもしれないという程のいびつな広がりと狭さの表現となっていた。ウィーンという言葉が喚起する独特のクオリアから遠い夢のウィーンを思い起こしながら、ウィーンのことを考える。
最後に行ったのは、おそらく90年の前後で、そのときには、音楽を聴くために出かけたわけではなかったのに、運良く国立歌劇場でムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』を観ることができた。たしか、指揮はスヴェトラーノフだったはずだが、歌手はまったく覚えていない。ネステレンコが歌っていたような気もするが、はっきりしない。そのはっきりとしないウィーン国立歌劇場の舞台が、夢のウィーンへの入り口になっているような気がする。巨大な柱時計が象徴的に用いられた、暗がりが支配する美しい舞台。その暗い舞台の闇を通して二つのウィーンはつながっているが、パソコンにウィーンの文字を打ち込む私の場所から、そこに至る通路は見つからない。