iPhoneはウォークマンにはかなわなかったという話

2ヶ月間、ブログを書かなかったときに、その時間何をしていたかというと、iPhoneで遊んでいた。podcastアメリカのニュースを見ることができるのが珍しく、「青空文庫」のリーダーである「i文庫」を使って夏目漱石芥川龍之介を読んでみたり、GPS機能を活用した地図の現在位置表示を活用したり、さらには電車の乗り継ぎを調べたり、あるいはTo-doアプリの「ta-da List」で仕事の予定をパソコンと連動して管理したりと、仕事に娯楽、実用に暇つぶしにiPhoneはあっという間に生活のなかで大きな一を占めるようになってしまった。もちろん、これらの機能に電話やメールがくっつくいて、さらにみなさんのブログもこれで読む。実に便利なガジェットである。

ただ、不満がないではなく、とくに電池の減るスピードが速いのはいただけない。なんだか充電のしっぱなしという感じ。iPod機能はpodcastのときにだけ使うことにして、音楽を聴くときには相変わらずソニーWalkmanを取りだしている。

また、これは不満というのではないが、「驚きの度合い」という意味では、初代ウォークマンのときに味わった驚天動地の思いには遠く及ばなかったなと、そのことは何度も意識の上に上ってくる。初めてウォークマンを使ったのは22歳の時。ドイツの語学学校ゲーテ・インスティトュートで一緒になった銀行員のMさんにお借りし、装着したときの驚きは忘れられない。目に見える世界がその瞬間に変わったと思えた。戸外を歩きながら、そこにお気に入りの音楽が流れているなんて、まるで映画の中に入り込んだようじゃないかと感じたりした。あれ以上の、感覚上の革新は体験したことがないように思う。