沈黙の主張

歌手・女優として芸能界でそこそこ名をはせた女性が介護に疲れて命を絶った。そのことを受けて、介護の負担をテーマにしたテレビニュースの特集を複数の局が放映するのをたまたま目にした。

人が死なないとものごとが動かない、ことの重要さが認識されない傾向があることを我々は知っている。日本はそういう社会で、自死による主張が意味を持っている事実が、ひとつには自殺が他国に比べて高い水準で推移する一つの理由をなしているのではないかと思う。その前に、死に至る前に、もっと言葉で戦えなかったのかと、赤の他人である私なんぞは考えてしまうのだが、言葉で戦っても効果を期待できない、戦うフィールドが与えられていない社会のありようにうなだれてしまう人がいたとして、誰がそれを非難することができるだろう。私自身がいつしか「うなだれてしまう人」となるおそれは常にそこにあるのだからと、次の瞬間には思い直すことを余儀なくされる。

昨日のこと、通勤通学でごった返す駅のホームで、息子の5メートル先を歩いていた人がひょいと電車に飛び込んだという。昨夏には、事故による墜落死を目撃した息子である。報道によると女子高校生だったらしい。