カラヤンのベスト録音ってなに?

前々回のエントリーでカラヤンの叩き売り全集について「万人にお勧めです」と書いたら、正々堂々アンチ・カラヤンを名乗るmii0625さんから反論をもらった。ちと言い過ぎかな、書き過ぎかなという思いが頭の片隅をよぎったフレーズではあったのだが、本物のアンチ・カラヤン派からコメントをもらえるとは思いもよらなかった。下手な断定はしないにしかずということも良い勉強にもなったし、やっぱり、カラヤン嫌いっているんだよ、っていう証明にもなったし。まだ世の中にはちゃんとアンチ・カラヤンが生き残っていることが分かってなんだか楽しくなった。miiさん、ありがとうございました。

ところで「カラヤンのどの録音が後世に残るんだ」と厳しい質問をしてきたそのmiiさんのブログにいくと、ベートーヴェンの話が出ていた。


■アンチ・カラヤン顕在なり(『駒沢大学駅徒歩二分の皮膚科医の日記』2009年2月15日)


これに関しては僕も異論・反論まったくございません。すでに書いたように僕もカラヤンモーツァルトベートーヴェンは敬遠したい一派である。カラヤンベートーヴェンが好きという人はカラヤンの全ての録音を愛せるはずだが、あのつるつる、すべすべしたベートーヴェンはさすがに趣味悪すぎ。あのベートーヴェンを聴いて感動を覚える人がいるとすれば、それこそ芯からのカラヤン・ファンだと思うが、本心からそう思えるのは、その技を理解できる同業者だけじゃないかと疑ってしまう。まあ、英雄交響曲をあれだけジェットコースター風に演奏できたのはカラヤンならではで、すごいとは言えるが、そう書きながら呆れてしまう心境である。ベートーヴェンを聴くのに、いまだにわざわざカラヤンを出してくる人はいないと思うが、世の中そうでもないようで、僕の後輩にもカラヤンの英雄や運命が最高というやつがいたっけ。

アンチ派を名乗るmiiさんも「トリスタンとイゾルデ」をお聴きになっているというのがまた面白い。たぶん、但し書き付きのリスニングではあるのだろうけれど、カラヤンの録音のすべてが駄目という人もいないのではないかと思う。

そこで、これらの雑文を書くまで、アンチ・カラヤンを標榜していた私の「I love Karajan」の一端をご紹介すると。

例えば、リヒャルト=シュトラウス
ドン・ファン」の名調子は、カラヤンならでは。これはカラヤンで聴きたいと思う筆頭である。リヒャルト=シュトラウスはほとんどすべてオーケー。まったく違和感なし。思い出したが、生まれて初めて買ったCDはカラヤンベルリン・フィルの「アルプス交響曲」だった。もっとも、僕はリヒャルト=シュトラウスにそれほど執着がある人間ではないので、ほんのたまにしか聴かないけれど。

シェーンベルク。新ウィーン学派の作品を収めた有名なディスクがあるが、これは「うーん、カラヤン、すごい」と唸る。いまだにこれらの人たちのベストじゃね、と思う。

ショスタコービッチ交響曲第10番。80年代に録音したやつ。カラヤンの唯一のショスタコの録音だったと記憶しているが、これなんかもカラヤンのベスト盤の一つじゃないかな。70年代の録音が中心になっている今回の叩き売り全集には残念ながら入っていない。

シベリウスの4番と6番の入った盤。今回の全集にはこれも入っていない。あまり聞かれる類の音楽ではないけれど。

ブルックナー。7番と9番はよく覚えていないのだが、その他については、どれも納得。1番は、この曲の最良の演奏の一つじゃないかと個人的には思う。最晩年にウィーン・フィルと録音した8番については、ペンギンやグラモフォンのガイドを含め、この曲のベストだと言う人が多い。僕は、演奏は人の数、演奏機会の数だけあると思うので、決定盤という言い方は嫌いだが、まあそうかなとは思う。ブルックナー指揮者としてのカラヤンはすごい。吉田秀和が、日比谷公会堂でのカラヤン体験について書いていた印象的な文章も、この8番をめぐるものだった。

カラヤンが後世にまで残るのは20世紀の音楽じゃないかな。ここで挙げたリヒャルト=シュトラウスシェーンベルクショスタコービッチシベリウス、どれもそう。この類の蘊蓄を語り始めると、「いやいや、私に言わせると…」と一家言ある人がわらわらと集まってきそうだが、それはそれぞれのブログでおやりいただくことにして、今日はこの辺にしておくことにする。

ついにこのブログもお気楽クラシック版に変質したかと書いている本人が思うが、心に屈託があるときにはこの手の馬鹿話がいちばんよろしいようで。