心はいまだ大分に

大分から帰って10日になろうとしているが、心の幾分かはまだ大分にあるような気がする。これからも大分が心の中で一定の位置を保ち続けるような気がする。

小野さん、比嘉さんと会った翌日、列車待ちの短い時間をつかって市街を歩いた。県庁前の歩道で特産品のモザイクを見つけた。

魚は大分。アジ、サバ、鯛、ヒラメ、おいしいものの宝庫だ。きょうび博多あたりでも美味しい魚は大分から来るのが常識。



そして、カボスやミカンはそれ自体すんなりと画になるのは分かる。



しかし焼酎のボトルが「焼酎」という看板を背負ってモザイクになるところは、なんともお国柄、地域性である。



前の晩に二人と呑んだときに小野さんが選んでくれたのは「吉兆宝山」という銘柄で、これは鹿児島の芋焼酎だったが、お店の焼酎リストに並んだ銘柄の数は呆れるほど多く、これも土地柄というべきだと感嘆した。

「吉兆宝山」は文句なく美味しかったが、ついでに言っておくと、常連の小野さんのおかげでお店からいただいた泡盛「海乃邦」は沖縄出身の比嘉さんもにこにこ顔になる名品で、39度のオンザロックが喉を滑っていった。



美味しくに、大分。心が大分にあるという意味は、つまりそういう意味である。