比嘉さんに青春の暗い情熱を見た


小野さんがなじみの「赤坂」で小野さん、比嘉さんと呑んだ。
比嘉さんとは6月の津田沼(つまり伝説の「千葉シュポシュポ」)で会って以来、2度目の邂逅である。

■千葉シュポシュポ(2008年6月8日)

少しだけ遅れて到着した仕事帰りの彼がテーブルに着いた瞬間から、会話は時候の挨拶や、世間話や、お世辞抜きに、本当に言いたいこと、聞きたいことに向かって飛んでいき、会話は真ん中からそれることなく、12時まで続いた。
比嘉さんは平均的な沖縄県人の例にもれずとてもアルコールに強いようだが、しかし、平日は一滴たりとも酒を口にしないことを自分自身に課している。この日は木曜日ということで、つまり、酒精とダンスを踊ってはいけない日で、だから禁を破って僕らに付き合ってくれたわけだ。
ことほど左様に比嘉さんは自分に対してストイックな男だ。一般論として、生真面目さは大いなる人生の武器だが、同時に人生を容易ならざるものにもする。比嘉さんを見ていると、あらためてそう思う。

比嘉さんは、この日のために、まめに僕のブログを読みなおしてくれ、いくつもの質問を用意してきた。論点となるエントリーをiPhoneに整理していた。それらを肴にさまざまな話をしたが、僕にとってもっとも印象的だったのは、村上春樹の『走ることについて語るときに僕が語ること』の中にある「ポニーテイル」の話を彼が持ち出したことだ。

「覚えていますか?」と尋ねられて、ぼんやりとした記憶の中から話の骨格を思い出した。それはボストンで川沿いの道を走っているときに、傍らを颯爽と抜いていくハーバード大学の新入生たちの後ろ姿を見て、自信満々なオーラが発散している彼女たちの後頭部で揺れているポニーテイルを見て、著者の村上さんがある種の感慨にとらわれるという内容だった。村上さんをとらえたのは老化の途上にあってかつてのスピードは望むべくもない自身の現在に対する認識であり、風を切って走っていた若い頃の自分への追想だった。そして、たしかそれについてははっきりと言及されていなかったと思うが、これから先人生の紆余曲折を迎えることになる、そして今はまだそれを知らない若者達へのエールになっていたように思う。そして、この文章の最終的なメッセージは、僕が覚えているかぎり、自分は走り続けるということだった。日常の何気ない一こまを扱いながら、すぐれた対位法の音楽を聴くような味わいのある文章だったと記憶している。
比嘉さんは、この話を持ち出して、40歳、50歳の自分をいまはとうてい想像できないし、ポニーテイルの女の子たちに追い抜かれてしまう自分自身を許容できるとは思えないと、虚飾のない感想を語ってくれた。小野さんが撮ってくれた一枚の写真に写っているは、そんな話をしていた僕らの姿だ。




僕は比嘉さんの感想を聞きながら、ポニーテイルの女の子たちに抜かれながら走り続けている村上春樹になったような気分になった。おこがましいたとえだけれど。
この話をどう思うかと訊かれて、彼の姿勢に感化されて前のめりの姿勢になり、僕なりの意見をしゃべった。比嘉さんの質問はすべてに対してまっすぐで、このキャッチボールは楽しかった。大分に来てよかったと思った。
青春は明るいと考えるのは、大人のたわごとである。少なくともそれは夢のような一般論である。ポニーテイルの女の子たちに自信と無知を読み取るのは村上春樹(=大人)の勝手な思いこみだと異議を唱える若者がいるにちがいないと僕は思う。比嘉さんの持つ暗い情熱はまさに青春の力そのもので、うかつに触ると火傷をしそうな強度がある。そのエネルギーをどの方向に導いていくのか、比嘉さんに求められているのは梅田望夫さんが言う“戦略性”に他ならないことは本人がもっともよく理解している。ブログの仲間との付き合いから彼が何かのヒントを紡ぎ出してくれることを望まずにはいられない。来月には金城さんたちが大分を訪れる。

■大分シュッ張ロゴ、ほぼ決まる(『simpleA』2008年9月6日)