高崎山は深山だった

大分一泊の旅を考えたときは、単に小野さん(id:sap0220)、比嘉さん(id:Ryu-Higa)に会いに行こうという以上の何かがあったわけではなかった。なんといっても勢川さん(id:segawabiki)による伝説の「名古屋会議新幹線往復」という先例があるから、二番煎じは気楽なものだ。博多から大分は特急に乗って2時間半ほど。同じ北部九州にある以上、もっと近くてもいいような気がするし、実際、東京・名古屋往復よりも時間はかかるのだけれど、気持ちと若干のお小遣いさえあれば、実行はいたって容易である。実際には、普通の勤め人にとっては“若干のお小遣い”を工面するのが言うほど簡単ではなかったりするわけではあるが、まあそこも気持ち次第であることよ。ほんと。

ともかく、そんなこんなで大分行きを決めた後は、ほとんど皆さまの知るとおり。小野さんがどんどん気を利かして湯布院、久重行きを決めてくれ、こちらはうきうきと当日が来るのを待つばかりとなった。

ところが降って湧いた問題は秋の九州には恒例の台風。rairakkuさんの七色てるてる坊主のおかげでなんとか雨に遭わずに素敵な旅となったが、やまなみハイウェイ方面ははやばやと諦め、天気を見ながらゆっくりしましょうと小野さんとは話をしていた。そんな紆余曲折を経て、やまなみハイウェイをとばして阿蘇方面を目指していればスキップすることになったであろう高崎山に連れて行ってもらうことになった。これが楽しかった。

大分といえば別府と高崎山というのが通り相場である。今や全国的な人気温泉地となった湯布院が前面に出てきたために、昔ながらの観光地は影が薄い感は否めないが、しかし、高崎山の標高が低くなるわけでもないし、猿がいなくなるわけでもない。初めて行った高崎山は滞在した1時間半の間、好奇心と情動を心地よく刺激してくれた。動物好きは絶対に訪れるべき場所だと思った。

高崎山のことを御存知ない方は、まずはホームページへどうぞ。

http://www.takasakiyama.jp/

野生の猿の餌付けで日本はおろか世界的に名を知られた場所であり、九州を代表する観光地の一つである。学問的には、日本の猿学発祥の地であり、立花隆が80年代に著した名著『サル学の現在』でも、この地における研究の歴史とその成果が詳しく紹介されている。のめり込んで読んだ同書の記憶は、一度は高崎山へ行ってみたいという思いにつながっていた。

サル学の現在 (上) (文春文庫)

サル学の現在 (上) (文春文庫)

サル学の現在 (下) (文春文庫)

サル学の現在 (下) (文春文庫)


と物知り顔をしてみたところで、実は僕自身は誰もがっしっている前口上を知っていたにすぎない。実際、高崎山がどんな場所なのか、まったく事前勉強をしなかったので、行ってみて驚いた。そのことは現地に佇んでみて初めて自分の意識に上ってきたことでもあったが、僕が「高崎山」という言葉を聞いてイメージしていたのは、大規模な猿山のごときものだったと思う。ところが、小野さんのレガシーから降りて見上げた本物の高崎山は、幹線道路やJR日豊本線が脇を走っているにもかかわらず深山の雰囲気である。台風の接近を受けて霧が出て山を覆い、猿ばかりでなく、山の物の怪がどこからか出てきそうな迫力がある。見上げてびっくり高崎山


濃紺のレガシーと小野さん。その上に貫禄の高崎山が聳えていた。山腹の低いところまで降りているガスのために山頂は見えない。