変転する心を文字にする業の結晶

丸山健二に興味がある方など、このブログをお読みいただいている方の10人に0.5人もいないだろうことは、☆の付き具合や日ごとのページビューを見ていると実に明らかだが、今日もその話題を。

丸山健二の小説の登場人物は、ほとんど例外なく、浜の真砂のように卑小で欠点がたくさんある存在として描かれている。そして読者が心穏やかに巻を閉じるような作品はほとんどない。人生の苛烈さ、人間の業といった負の面をくっきりと描き、魂を震駭させる類の小説がほとんどだ。

『日と月と刀』で主人公を務める薬王寺無名丸は、無敵の放浪剣士というヒーローそのものの設定でありながら、ある方向へがむしゃらに歩みを進めるかと思えば、次の場面でそうした行動を疑い、自分自身に飽き、新しい思念の虜になり、それを惜しげもなく振り捨て、といったおよそ満ち足りた自我とは無縁の、常に自己を乗り越えながら生きる魂の自然児として描かれている。不細工な人間のありようを素材としてきた丸山作品の主人公として、無名丸は、いかにも丸山的ヒーローである。ページをめくる毎に、あっさりと自分の気持ちを翻し、新しい事件を糧としてと書けば響きはいいが、坂道を転がる石のように流転していく主人公の存在は、ある種のジェットコースター感覚を随伴した読書を体験させてくれる。

無名丸に宿る、一時たりともじっとしていない人間の心を描き出す丸山の筆力にはやはり驚く。美文とぞんざいな調子とが分かちがたく入り交じる、丸山独特の文章に対する好き嫌いが、この本の評価を決めるのは間違いなく、「また、大げさな表現ばかり使って」と拒否反応を示す向きが少なくないだろうことは、他の作品同様目に見えている。ちなみに、あちこちに意味が分からない言葉、お目にかかったことがない熟語の類がちりばめられていて、ひとつひとつを理解しようとすれば、広辞苑なしではすまないはずだ。わたしゃ、それらの単語を読み飛ばしながら、「辞書を引かずに大意を読み取りましょう」といった受験英語のアドバイスを空耳で聞く気分だった。

この作品は、無名丸という主人公を得た丸山が挑んだ、おそらく初めての教養小説(ビルドゥングス・ロマーン)である。無常である世の中を描き、しかし厭世的になることを嫌って、魂のハッピーエンドを用意した点で、丸山作品の中で後味の良さは群を抜いている。