二つの田舎

勢川さん(id:segawabiki)、三上さん(id:elmikamino)、中村さん(id:koichiro516)、昨日のエントリーへのコメント誠にありがとうございました。皆さんのコメントを眺めているうちに、二通りの田舎は混同を許すままに「田舎」と言い続けた方が面白いという個人的結論に至りました。

前日のエントリーを書きながら目に浮かんでいたのは、まさに中村さんがお書きになっているシリコンバレー、緑したたる田舎の光景でした。あるいは私が数年住まったニューヨーク郊外の、美しい緑の海と呼びたくなるような地域の眺めでした。旅行でニューヨークに行く方はマンハッタンとその周辺にしか足を伸ばさないでしょうから、あのゴッサムシティの数十キロ外に、田園風景とした呼べないような、しかしその実は広大な緑に覆われた住宅街であるところの地域が広がっており、金持ち連中はそんな中で牧歌的週末を過ごしている事実に触れる機会はほとんどないと思われます。

それらの美しい田舎は、要は日本の存在をどんどん田舎方面へと引き込んでいる象徴だと言ってもよいわけで、田舎を田舎だと言いつのる価値観から自由にならない限り、日本の経済的成長はきびしいのだろうと感じずにはいられません。少なくとも、国の成長と市民の満足とが背反しない方向での成長はないのではないかと思うのですが、それは日本国民を買いかぶった感想なのかも知れません。

80年代初頭のニューメディアブームの際に、情報通信の発展は地域格差の是正の大きな一助となるという論が喧伝されましたが、交通同様、それらはいわゆるストロー効果の一端を担う以上の働きをしてはいません。IT企業が好んで六本木ヒルズに集まり、IT企業の巣になったのは記憶に新しいところです。私は生まれて初めての正式な勤めを横浜で始めましたが、そのとき人口300万人を擁する横浜(当時は200万都市でしたが)ですら、東京に比べると田舎であり、小都市に過ぎず、その小さな場所に閉じこめらたという実感を一挙に抱え込むことになったのを思い出します。自分自身にとっても信じがたい感覚でしたが、そのショックはいまでも体のどこかに残っている気がします。