また「山梨旅行」のことを考えたり

ブログ仲間を訪ねる旅、くまさん(id:unknownmelodies)言うところの「ブロガーおくのほそみち」は、今年は「大分旅行」ということになった。

■梅田望夫が「山梨旅行」を語った(2008年11月4日)

これを書いた半年少々前には、「梅田さんは文藝春秋の求めに応じて、ちょっと無理しておじさん世代に語っているなあ」と感じていたはずだが、今現在の自分は、少なくとも自分の老後については、ブログ仲間と山梨旅行をしたり、UCバークレーの講義をウェブで聴いたり、という日常を普通に過ごしているのではないかという気分になってきた。実際、この半年、札幌だろうが、大分だろうが、どこへも出かけちゃうようなフットワークの人たちがこの界隈でわんさか出てきたわけだし、ブログが「志向性の共同体」のビークルとして重要性を増していくだろう点については、梅田さんの推論というか、予言というか、未来を見る目にますます脱帽という気分になっているのである。

とは言え、向こう10年を見渡したときでも、それが大多数の日本人からすれば、平均から外れた一握りの層の行動様式として位置づけられるままなのではないかという思いも同時に強くなっているのは、最近出版のビジネスに顔をつっこんだことが大いに関係している。良書がたくさん売れるわけではないという現実と、その反対にくだらない本がたくさん売れるという現実と、ウェブやブログの最も効果的な活用の仕方が必ずしも受け入れられる訳ではないだろうという思いとが重なり合う。とすれば、なんというか、日本国内においては、ウェブやブログを使った情報活動や運動はこれからも常に差別化の道具として機能する余地があるということではあるだろう。

しかし、英語圏と日本語圏の動きの早さを比べると、日本はますますアジアの田舎になっていく。それを恐ろしいととるか、そんなの仕方ないよ、hahahaと笑って済ますか。突き詰めて考えると、日本語ブログはほどほどにして英語の活動に軸足を移した方がいいんじゃね、なんてことにもなるわけで。いや、私はそんなに功利的な人間ではございませんと言いたくもなるが、言い訳をするぐらいなら、くだらない本が売れるなどと生意気なことを言うな、ともう一人の自分が嘲笑を浴びせかけてくる。