紋切り型

3ヶ月間、慣れない営業込みで取り組んでいた面倒な仕事が山を越し、あと一週間すればハッピーエンドと相成る予定である。しかるが故に心は清澄の領域にたゆたい、久しぶりにのーんびり。延び延びになっていた短い夏休みもやっと取れる。

先週、数ヶ月ぶりに会った友人が「ブログを読んでいるとお元気そうですね」と言ってくれたが、そう読んでもらえたのは本望である。でも実生活では不愉快なことは少なくない。楽しいことばかりの毎日を送っている人なんていないはずで、毎日の情動を書くものに正直にぶつければ、ビビッドな青や、ほんわかしたパステルカラーというわけには必ずしもいかないはずだ。でも、ブログは日記ではないので、グレーな本音はよほどメッセージ性がない限りは書かないに限る。

テレビにはレッドソックスホワイトソックスの靴下対決が映っている。のんびり気分で大リーグ放送を見るのは文句なく楽しい。松坂が好投し、8回を無失点。5回までは1対0の投手戦だったが、ホワイトソックスバスケスが中盤に打たれて試合は一方的な展開になっている。いま、8点目が入ったところ。途中までの緊迫感が嘘のよう。

今晩のスポーツニュースでは「しかし5回、松坂の好投に打線が応えます」みたいな紋切り型の原稿が読まれるのだろうなと思う。今、見ているNHKによる英語の中継(副音声)はボストンの放送局の制作だが、スポーツ放送も紋切り型表現のオンパレードだから、それらになじんでしまうと、僕ぐらいの中途半端な英語力の者でも理解するのはそんなに難しくない。紋切り型には共同体の規範、価値観が反映されており、それを使いこなすことは分かりやすい文章、受け入れやすい文章を書くひとつのコツだ。

同時に紋切り型の文章ほどつまらないものはなく、こんなブログを書くときですら、そのことに意識は向かう。紋切り型表現はできるだけ避けたいが、実際にはそれなしで文章は書けないし、短い時間の中で書くには、それらをつなげていかないとどうしたって続かない。結果的に僕が書く文章はそればっかり。内心忸怩たるものがある。というのも紋切り型表現である。

いま読んでいる『日と月と刀』は、他人の真似を繰り返すことを忌み嫌う著者が、相変わらずオリジナルな表現を追求しようという強い意志で練り上げた新しい表現に、ページを繰る毎に出会うことができる。「最近の丸山健二って、どれ読んでも同じで、それって紋切り型じゃね?」という疑問が湧く御仁もいるかもしれないが、たぶんそれは間違いなのだと思う。自己の表現形式にこだわることは、世間に溢れている表現に寄り添うこととはまるで違う。
というわけで充実した読書になっている。


日と月と刀 上

日と月と刀 上