クラシック音楽ファン

NHKの番組紹介でサヴァリッシュホルスト=シュタインなど名誉指揮者がNHK交響楽団を振った古い演奏会のビデオをまとめて放送すると宣伝していたので、ごく短い時間だが思わず見入ってしまったら、3人いる子どもたちが口々に馬鹿にする。小さい頃はステレオを鳴らしてもおとなしかった子供らは、いまやクラシックが好きな親を揶揄するという悪趣味を持つティーンエイジャーに育ってしまったのである。光陰矢のごとし。かわいい子には旅をさせよ。誠にありがたいことである。

「ありえねー」(次男)(現代語訳1「爺さんが棒を振り回してる映像を真剣な眼差しで注視する感性の、なんとあり得ないことよ」 現代語訳2「爺さんが棒を振り回してる映像を真剣な眼差しで注視する親父を持っている自分の存在はなんとあわれであることよ」)

「まじ、やば」(長女)(現代語訳1「いまテレビで鳴っている音楽のなんと時代錯誤的であることよ」 現代語訳2「こんな誰も見ないような番組を作るNHK、それを真剣に見るわが親のなんとやばいことよ」)

「お父さんはおれらが聴いてる曲なんか内心馬鹿にしながら聴いてんだろう」と長男が挑発的な反応をするので、「いやいや、そんなことはない」と弁明をする。「俺はモーツァルトよりもハイドンの方がしばしばよいと思うような、むしろ単純・素朴な音楽に(も)価値があると考える輩であるのだから、もちろんベートーヴェンもいいがEXILEも悪くないと感じることがあったとしても何も不思議はないのだよ。つまり要約すると、お前さんたちが喜んで聴いているEXILEも、平井堅も、なかなかいいとかなり本気で思っている」と言おうとしたが、どうせ通じないうえに、また馬鹿にされるのが落ちなので、前半をはしょって「EXILEも、平井堅も、なかなかいいと思っている」と答える。

「ふーん、そうなんだ」と長男は応じて、その時に敵はもう話題に対する興味を失っているのだが、どうせ、また定期的にこやつらに馬鹿にされるというか、口に出さずとも恒常的に呆れられているのだと思うと不愉快である。こちらは別に皮肉を言っているつもりはないのに。

もっとも、クラシック好きが白眼視されるのは今に始まったことではなく、子どもの頃からそうだった。たぶん、自分が生まれる前からそうだったんだろう。『のだめカンタービレ』なんてものが流行る世の中になってきて、ちょっとは世間は変わってきたと思うが、クラシック音楽スノビズムをくっつけて見る視線がなくなることはたぶんないだろう。

欧州やアメリカでもクラシック音楽スノッブなものである。というか、あちらはほんとにスノッブな面がある。ドイツの大学で研究を長く行い、ユルゲン・ハーバーマスに連なる研究で著名な社会学者のHさんとは、僕が二十代半ばの頃、ちょうどHさんがドイツから帰国して大学に移るまでの短い時期に同じオフィスにいたことがあった。この方の研究内容は難しかったが、雑談が上手で四方山話を聞かせてもらうのは楽しかった。Hさんと話をしているとき、彼がなんと言ったのか。「ドイツだとコンサートに行くのは中山君みたいな純粋な音楽ファンというよりも・・・」と、その辺りで記憶がとぎれてしまっているのだが、ともかくクラシック音楽を聴きに行く層というのがあるんだよ。それは日本のようにまだらに分布していたりしないんだよ、というような意味のことだった。

日本には、文明開化以降の外来文化受容と一環としての、教養としてのクラシック音楽の伝統がある故に、「おクラシックね」と見る周囲の目はいまだに根強くあるが、夜会服を着て行くコンサートは存在しないし、あらゆる層にわたってクラシックファンなる人たちが浸透しているけっこうリベラルな社会空間である。元祖おたく空間でもある。クラシック仲間のおたく的情報交換の世界から半ば降りていたのだが、どうも、ブログを書いていると、独白の形でそれがぶり返してきたような気がする。