村上春樹と大江健三郎

昨日話題にした庄司薫にとって僕は遅れてきた読者だったが、村上春樹は彼とともに同時代の空気を吸った初期の読者の一人だった。Wikipediaによると「群像」に彼の処女作『風の歌を聴け』が発表されたのが、1979年6月。『赤頭巾ちゃん気をつけて』からちょうど10年だ。僕にとっては文芸誌も熱心に狩猟していた大学生の頃だったことになる。

村上春樹風の歌を聴け』が芥川賞候補になったとき、当時はこの春の微風のような作風が選考委員の賛同を得るとは思えず、駄目だろうとは思ったが、案の定だった。そこまではがっかりしながらも案の定ですんだが、選考委員中、大江健三郎の選評には正直心が萎えた。

ちゃんとした文言はまったく覚えていないが、芥川賞の選評は当然記録が残っているだろうから、その気になればすぐ見つかるはず。ともかく、大江さんは選考委員に与えられている800字の選評の最後に、あたかも「書き忘れそうになったけれど付け加えておきます」とでもいうような気のない調子で(というあからさまなレトリックを用いて)、村上作品に対するフレーズを置いた。候補作の中にはアメリカの小説を模したものもあったが、文学とはそんな簡単なものではない、みたいな一言、二言が書かれていたはず。誰が読んでも『風の歌を聴け』を指しての批評であることは明らかだったが、そこには作者・村上春樹の名前も、『風の歌を聴け』という著作名もなく、僕は大いに大江を蔑んだ。大江作品に流れる、宇宙の存在を感知させるような構成感とあの文体は今に至るまで愛好の対象だが、大江健三郎のこういうところは実にうさんくさく、信用できない。彼は周囲の人々や、抽象的な大衆にはとても優しいが、人の形をとって現れる本当の弱き者に対するデリカシーを欠いているところが決定的にあるようにいつも感じられる。

ここまで書いたところで、もしかするとWebの上で当の選評が読めるかも知れないと思い、グーグルを使って「村上春樹 芥川賞 選評」のキーワードで検索をしてみた。そして、こんなページを発見してあわてた。なんと大江さんの村上春樹評は存在しないと書いてある。

http://www.tokyo-kurenaidan.com/haruki-akutagawa1.htm


結局、国会図書館まで足を運び原本にあたってみることになったが、結果的には安心した。相当のうろ覚えで文言はこんなんだったかなと思うほど記憶から消えていたものの、ニュアンス自体は間違っていなかった。Web上のコンテンツは(もちろん僕のブログも含めて)編集者の第三者の目を経ていないからどこに間違いが紛れ込むか分かったものではない。大江さんの選評は次の通り。

今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けになっていないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた。
大江健三郎「実力と表現を強く求める主題」(文藝春秋昭和54年9月号・芥川賞選評より)

時は下って1994年10月。大江健三郎ノーベル文学賞を受賞するというニュースが伝わった数日後の鎌倉芸術館に、僕は大江健三郎の講演と息子の大江光さんのコンサートをカップリングしたイベントを聴きにでかけた。たまたま地元の自治体が主催したイベントに応募し入場券を入手してあったのだ。光さんの曲を海老彰子さんや小泉浩さんらレコーディングに加わった一流のミュージシャンによる演奏で聴く会の冒頭に健三郎さんの講演を添えたという作りの会だったが、ノーベル文学賞発表直後に大江さんが行う最初のスピーチとなることもあり、会場に集まる人々の表情にはそれと分かる興奮が見て取れた。鎌倉芸術館の玄関前には何台ものテレビカメラとマイクが押し寄せ、ホールに入る人々を掴まえては賑やかにコメントを収集して回っていた。

芥川賞の選評の頃の僕にはまだそれなりに備わっていた記憶力は、大江健三郎ノーベル賞を受賞した1994年には大いに減退している。その文脈さえはっきりとは覚えていないのだが、大江さんは講演が始まってまだ間もない時間帯に、たしか文学の可能性といった類のことを語りかける中で、「村上春樹さんの著作が数多くの方々の支持を得ており、素晴らしい」みたいなことをしゃべったのだ。僕はさすがにびっくりした。年表を見ると、1994年は村上が『ねじまき鳥クロニクル』を刊行し、『ノルウェイの森』以降巻き起こったハルキ・ブームにダメが押された年だ。この人は聴衆の中に自分がかつて書いた芥川賞選評に憤りを感じた者が紛れ込んでいるなどとは微塵たりとも考えていなかったと思う。それにしても。僕は呆れるほかなかったのだが、そこには大江さんならではの贖罪の意味が含まれていたのだろうか。

大江光さんの音楽について僕は素晴らしいものがあるとは思うが、当然ながら評価は但し書き付きである。人の子の親として大江さんの光さんに対する支援には誠に胸を打つものがあり、その献身には頭が下がる。同時に僕は、彼が息子の音楽を彼の言葉で壮麗に飾る文章を読むとき、桐朋や、芸大や、武蔵野や、国立やその他の場所で作曲を勉強する音楽家の卵たち、一流の音楽家が自らの作品を演奏することなどかなわぬほとんどの若者たちが、光さんの音楽をどのように聴いているのかをどうしても考えてしまう。新進作家・村上春樹に文壇の重鎮・大江健三郎が投げかけた言葉の無惨な放物線は、僕の心にそのまま消えずに残っている。

だがしかし、2作目のCD「大江光ふたたび」のトリに収められている『8月のカプリース』のメロディラインは素晴らしい。その優しさと懐かしさの感情を呼び覚ます音の運動は突然に頭の中で鳴り始め、口ずさまずにはいられない瞬間が今でもときどきある。光さんの天賦の才が刻印された名曲かもしれない。

大江光 「ふたたび」

大江光 「ふたたび」

大江光ふたたび

大江光ふたたび

(本稿は、「卒業」(『mmpoloの日記』2006年10月24日)に触発されて書きました。文学好きの友人に向かって一度だけ、酒の席で話をしたことがある内容です)