身辺雑記

習い事の価値

私が敬愛する小説家の開高健は、おそらく運動不足や不養生に端を発するものであったろう体の不調に対処するために、50歳を過ぎてから週に2日の水泳を始めた。晩年の彼は、数々のエッセイで、様々な変奏を行うようにその「五十の手習い」に触れている。開高の…

生れてはじめての習い事

もう5か月もブログを書いていないということに気がついた。しばらくご無沙汰していたけれど、そんなに長くほったらかしにしていたとは思わなかった。 この間、何をしていたのかというと、自由になる時間を使ってフルートを吹いていた。ほぼ40年ぶりのことだ…

ボチボチでんな

またまた大谷翔平選手に関連した記事の話になるのだが、こんなのがあった。 ■大谷翔平、左腕から初Hは先制適時打 エンゼルスは控えめ?称賛“ボチボチでんな”(2018年4月12日、THE ANSWER編集部) https://the-ans.jp/news/21634/ 4月12日のエンジェルスの公…

夢、ノット指揮東京交響楽団の『ドン・ジョヴァンニ』

兄弟に刺されて人が死んだニュースを何度もテレビで見たのがいけなかったのだろうが、その夜にナイフを持った暴漢に正面から迫られる夢を見て大声をあげ、家族を夜中に起こしてしまった。その翌日、というのは一昨日のことだが、今度は、我が家の居間ぐらい…

栃もち

水窪で富士川りんちゃんに連れて行ってもらったお菓子屋さん、小松屋製菓で栃もちを買った。 栃もちというのは、Wikipediaによれば、「灰汁抜きした栃の実(トチノキの実)をもち米とともに蒸してからつき、餅にしたもの」だそうな。 山国には、あちこちで昔…

水窪へ行ってきた

4月に手術をして半年が過ぎ、遠出をしてきた。浜松市天竜区水窪町。 2週間前に川崎で催されたブログの仲間の会に短い時間参加したのが、そもそもの話の始まり。術後初めての夜の外出で懐かしい顔の数々を見たとたんに元気が湧いてきて、ワイワイとおしゃべり…

ウーロン茶で乾杯

一昨日は退院後初めて夜の時間帯に出かけてきた。 瀬川さんと下川さんの呼びかけに乗せて頂き、川崎の中華料理店での宴会。手術をした後、こうした場所に来るのは初めてで、生れてはじめての、お酒を飲まない飲み会。ご飯も少々口に入れた程度だが、1時間半…

選挙が終わった

衆院選が終わった。ともかくも節操のない政党が票を採れなかったのは慶賀の至りである。東京都議選からたった3か月でオセロゲームが起こったことになるが、あれはそもそもかつての民主党の政権取りと一緒で、ムードに乗っかった期待票を取りすぎていただけな…

明日は選挙だ

明日は衆議院議員選挙だ。 政治的信条に無自覚な典型的ノンポリ、無党派層の私は、「〇×党ーっ!、きゃー!」みたいな感情はどちらの政党にも持っていないので、選挙の時は政権与党が無茶をできない程度に節度を保ってもらうために、野党で勝負できそうな候…

友達とIT技術の有難味

昨日午後、ブログ仲間が企画したお楽しみ会が某所であり、勢川さん発案のビデオ中継のおかげでバーチャル参加をさせていただいた。「バーチャル」と書いたけれど、それは言葉のあやみたいなもので、無機質な病室に垂れ込めている者にとってはビデオ参加は「…

千客万来

先週末にかけては何人もの友人が病室に足を運んでくれた。 以下の人は個人名を出しても問題ないと思うので紹介すると、金曜日には古い友人であるアウトロジックの杉本さん、その夜には、かの美崎薫さん。土曜日には前週にもお越しいただいた下川さんが木下さ…

病室のドアが空き、そこに大きな人影が現れると

入院すると世話になるお医者さん、看護師さんと家族に毎日の生活を預けているような塩梅で、それが目下の世界のすべてである。 そこに、思いがけないタイミングで友人が顔を見せてくれると、白黒の病室が総天然色、4Kのテレビに変化したかのように感じられ…

生まれ変わったと思いたいが

手術が終わって、麻酔が外された酩酊状態の中、医者に名前を呼ばれ、「聞こえますか?!」と呼びかけられ、その次に目の前に映像のようなものが見えたような、見えないような気がして、それに向かって「はい」と答えると、その後に家族の顔が現れて、声をか…

不愉快な悪夢

昨朝、起きがけに見た夢は、見ている間中、不愉快な気分が蓄積し続けるようで、何故私の脳はそんなイメージを作り出すのか、自分自身に尋ねてみたくなった。 とは言え、夢としては、それほど奇怪でも、奇抜でもない。むしろ、書割はその正反対で、実にちまち…

本屋の夢を見た

本屋の夢を見た。 そこは昔ながらの町の小さな本屋ではなく、今風の大型店らしく、入り口近くの目立つ棚を僕は物色している。周囲には何人ものお客さんがいて活気があるのはいいのだが、多くの手が本に伸びては無造作に棚に返され何冊かは端がめくれて傷んで…

迷子になる夢を見た

迷子になる夢を見た。 拳銃を手にした悪人やゴジラに追いかけられる夢、高いところから落ちる類の悪夢は子供の頃から数えきれないほど見てきたし、これから行くはずの場所に辿り着けない夢も定期的に見る。楽しい旅行に行く途中なのに、なかなか乗るはずの電…

身辺雑記

吉本隆明著『フランシス子へ』を読んだ。吉本さんが亡くなる数か月前に取材した聞き書きの一冊で、一周忌にあわせるように出た本だから、もうすでにしばらく前から吉本さんの本はそんな風に出来ていたとはいえ、これを吉本さんの「最後の著作」と受け取るの…

ここは少し薄暗く、すべての存在が明瞭な輪郭を欠いてる。それでもホテルのロビーらしいということは自明の範疇に属している。らしいと言うのは、それが夢の中の話で、それ以上でもそれ以下でもないのだから、そこにはらしいという以上の現実は存在しないと…

年頭の辞

何だか嫌な時代になってきましたね、と問わず語りに自分に向かって語りかける機会が増えてきた。先が皆目見えない。自分だけではなく、恐らく多くの人にとってそういう気分を感じてるのではないかと考えたりする。時代の息苦しい空気がPM2.5のようにうっすら…

皆様、よいお年を

今年はどんな年だったか。365日分、誰にとっても嬉しいこと、悲しいこと、色々なことがあったはずです。私自身にもいいこと、そうではないことが山のようにありましたが、一つだけ挙げると、生物としての劣化がますます進んだことを感じる年でした。ここ数か…

記憶力という以前に

先日のエントリーで記憶力の減退という話を書いてみた。コンサートで音楽を聴いても、それがどんな演奏だったかをすぐに忘れてしまう。今までに比べて忘れる速度が急速に上がっているという実感を述べてみた。ところが、ブログで文字にするとあらためてその…

劣化する記憶力について

またしばらくブログから遠ざかっていたが、この9月は3回の音楽会に行った。どれもそれぞれに楽しめた。素晴らしいコンサートだった。と書いておいて、困ったことに実際の演奏をよく覚えていない、ということが今日のトピック。例えば、カンブルランが振った…

一眼レフがイカれてしまった

台風一過の文字通り雲ひとつない空を写真に撮ろうとしたら、カメラのディスプレイにエラー表示が。電源を入れてみたり、落としたり。あれこれといじってみたが、シャッターが降りない。うんともすんとも。 しばらく一眼レフのない休日を過ごさなければならな…

まだ普通ではない普通の日常

やっとグリーン車を使わず立って通勤電車に乗ったり、駅まで歩いたり。まだ、こわごわの部分が残っているが、それでも以前の普通の日が戻ってくる。でも、まだ怖い。歩くのはスピードが出ないし、足に軽いしびれが来るし。4月に聴いた東京交響楽団のブルック…

腰痛からの帰還

腰を痛めてルーチンの日常生活から少々離脱しただけなのに、なかなか元に戻るのが容易ではないと感じるのは自分が気がつかいないうちに体が老いている証拠のようなものだろう。足を動かすと、左足に緩慢なしびれがやってくる。だから、椅子に座り続けるのは…

腰痛の記

2週間前に発症した腰痛が治らず、先々週は2日間、この一週間は月曜日を除いて4日間仕事を休む羽目になった。病気でこんなに休むのは生まれて初めてのこと。最初は鍼灸でお茶を濁していたのだが、こんなに痛いのだからヤバイ病気かもしれないと途中であわ…

テミルカーノフ指揮読響のショスタコーヴィチ、ドボルザーク

木曜日から腰を痛め、2日間続けて勤めを休む。2日も病休をとるのは自分自身でも珍しいこと。寝ても痛く、座っても痛い。立っているのがむしろ楽なのだが、とは言え、やはり立っているのはほんとに楽かと言うと、それも限界がある。腰の痛いのは厄介至極だ。…

1年の修行

かれこれ1年以上になる。昨年の春先、ある成り行きから翻訳の手伝いをすることになり、いったん昨年5月に手伝いが終わったと思ったら、結局夏から秋にかけて、さらには年末の時期に、最後は3月からと、ある作品の周囲をめぐるようにして1年少々の時間を…

大理石の海

締め切りに追われる夢をみた翌日の未明、目覚ましに起こされた際に浸っていた夢は、その明け方間近の時刻に同期したかのような平明さを湛えていた。そこはさして大きくもない湾が弓型に広がる海沿いの土地である。私はその海辺を歩いている。山がちの土地に…

悪い夢

出来ないことをやらなければいけない立場に立たされる夢を時々見る。例えば、大ホールで開かれるコンサートに協奏曲のソリストで呼ばれ、演奏しなければならないという状況に巻き込まれるのである。自分がそんな場所で満足に弾ける曲など一曲たりともないの…